◎平成22年9月


 本山の坐禅堂で、先輩修行僧に警策(きょうさく)で、パシンと叩かれたことを思い出します。
 上の空で坐禅に身が入っていない時に、「共に、しっかり取り組もう!」と《励ましの思い》で授けるのが、警策の本来の意味であります。決して《罰》として行われているものではありません。パシンという乾いた音には、私のことをおもんばかった、先輩からの熱い思いが込められていたのです。
 憎らしいという思いから生まれる、怒りに満ちた叱責や体罰はもってのほかです。今日もまた報道される幼児虐待のニュースには、胸が痛みます。
 大切なのは、相手のことをおもんばかり、しっかりと向き合うことではないでしょうか?向き合ってこそ生まれた叱責や褒め言葉は、必ず胸に響くはずです。先輩から頂いた警策は、今でもしっかり私の中に息づいています。
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