令和3年7月 | |
欲深く自分の利益だけを考えている方を「我利我利亡者」などと称しますが、周りとの調和を考えない振る舞いは、あまり良い印象を持てません。 子供の学習課題に《複眼的思考》というものがありました。一つの事柄を自分の見地だけでなく、様々な立場から読み解こうというもので、視野を広め、相手の立場を考える(想像する)意味で、我利我利に陥らないためにも、とても良い課題だと感じました。 曹洞宗の法要での礼拝は、両膝・おでこをつき、両手で仏さまの足を押し戴く姿で行われます。お世話になった御老僧から「お拝のたび、自分の頭に生えてしまう【我のツノ】を削り取るように丁寧に勤めなさい」と教えていただきました。 一度削り取ったからといって、またすぐに生えてくるのが、老僧のおっしゃる【我のツノ】です。日々よく点検しながら、余計な誤解や衝突を生まないよう心掛けていきたいものです。 |
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◎令和3年1月 | |
私たちの心には「自分だけが良ければよい」とする〈利己の心〉、コロナウィルス対応の医療従事者しかり、豪雨や地震などの災害しかり、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」という≪利他の心≫があります。 前者の〈利己の心〉ばかり振りかざしていると、自分の事しか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断に陥りやすくなるでしょう。 一方、後者の≪利他の心≫は、他人によかれという心なので、視野も広くなり、正しい判断につながり、周りの人みんなが協力してくれることになるでしょう。 〈利己〉も≪利他≫も生きていくためにはどちらも必要な心のありようかもしれません。情けは人の為ならず。「自分だけが…」の心を制御しながら、「みんなでにこやかに…」となれるよう、心を養って行きましょう。 |
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◎令和2年9月 | |
春先以降のコロナ禍の中、私たちの多くは、医療機関や行政機関で働く方々に支えられています。そして、感染防止への配慮が大切なのは言うまでもありませんが、打撃を受けているとされる飲食・観光業に携わる方々を支える立場にあるとも言えます。 先日、愛媛県宇和島からのニュースで、需要低下で出荷できなくなった養殖真鯛の話題が取り上げられていました。その量200d。販路を探った結果、大手回転すし店で美味しく提供されることになったとのこと。そのご苦労には頭が下がりますが、生産者も◎消費者も◎、とても良いつながりになったように感じました。 「縁起」という仏教の根本的な世界観では、全ての物事は、相関連しあって発生しているとされます。私の時間・私の物と、どんなに垣根を巡らせたとしても、それらは見えない何かに支えられて成り立っています。距離を保つ…リモート…と言われる時勢ではありますが、心まで疎遠になることなく、目に見えない、人と人とのつながりの大切さを忘れないでいたいと思います。 併せて、何か落ち着かない毎日が、いち早く元通りになるよう念じております。 |
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◎令和2年7月 | |
親、兄弟、夫婦など、どんなに結びつきが深い間柄でも、いずれは別れの時が訪れます。更に言えば、どんなに大切にしている〈物〉であえも、時に自分の手を離れたり、壊れてしまったり…。愛別離苦は、仏教でいう八苦の一つに数えられ、出会ったものとは必ず別れの時が来るという苦しみを指します。 学生時代習った古文で、この世や人生は無常であると学びました。時に、無常=儚(はかな)いから、悲しい別れを仕方なく受け入れよう(諦めよう)という言説を耳にしますが、それは一面に過ぎません。道元禅師は「無常を意識した時、自己中心的な心や富や名声を求める心は起こらず、時に流れの速さを自覚することになる。すると、日常の行いが必死さを伴った尊いものとなる」と示し、無常を意識することの大切さを説きます。逃れることのできない愛別離苦を前にして、それをどう受け止めていくのか?無常を意識した中で、自分自身の生命をどう使い、どう生きていくのか?別れの苦しみは、私たちに問いかけているのです。 |
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◎令和2年1月 | |
数年前、県内曹洞宗青年会の会長を務めた時のことです。「今後、副住職から住職になっていくにあたり、声であり、居ずまいであり、知識であり、僧侶としてこれだけは負けない…この部分を磨いていこう…といった自分の《ウリ》を1つでも作り上げていくことが大切だね。」と、後輩たちに伝えたことが思い出されます。 全てに通じ、何事にも秀でている…そんなスペシャルな方はなかなかおられません。ですが、何かしら得意なこと、キラリと輝く才能や強みを、誰しも1つは持っているはずです。勉強やスポーツ、技術や趣味、明るい性格や緻密に積み上げていく真面目さも、強みのひとつになるでしょう、 決してそれらの才能をひけらかすことを勧めるわけではありません。内に秘めた自信(裏付け)として、自らを作り上げていく…そのことは、魅力ある生き方につながっていくことと思います。 一人ひとりの強みが折り重なれば、大きな力になるでしょう。謙遜することなく、ご自身の強みを磨き上げてください。 |
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◎2019(R元)年9月 | |
とあるファーストフード店のメニューの隅に「スマイル0円」という表示がありました。お店を訪れて笑顔で迎えてもらえるのは、ホッとするひと幕です。 仏さまの表情もしかり。観音さまの功徳を綴ったお経に「一切の功徳を具し、慈眼をもって衆生を視る」という一説があります。母親が我が子を見守るかのような慈愛の目で見守って下さり、いつでもどこでも苦悩の声を聞けば、そこへ駆けつけて下さるのが観音さまです。良いことも悪いことも、すべてを大きく受け止めていただける安心感がございます。 ほほえみに包まれた安心感を、今度は自らが発信する立場へ・・・。笑顔は人をひきつけ、場を和やかにすることができます。にこやかな笑顔で人に接することは、周りはもちろん、自分をも穏やかな気持ちにさせてくれることでしょう。皆様の周りにやすらぎの輪が広がりますように! |
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◎2019(R元)年7月 | |
自分に生命を授けてくれたのが親であります。生まれた直後からずっと一緒にいるわけでありまして、日常の中で当たり前の存在になっているかもしれません。 親孝行したいときには親はなし。自分も歳を重ね、迎える別離の時。当たり前が崩された喪失感は、大きくのしかかります。 ご葬儀の打ち合わせの際、故人の〈素晴らしい〉と感じる部分をお尋ねすると、皆さま一様に、厳しさの中にあった父の優しさや、心広く受け止めてくれた母の尊さを語ってくださいます。とある年齢に達してこそ肯けた親心。失って改めて感じるいただいたご恩。日常感じ得なかった尊さに気づかされる瞬間です。 ご健在であるならばもちろんのこと。きたるお盆、ご先祖様を迎えながら、親御さんのお徳、自らにかけられた願いをしっかり受け止めましょう。 |
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◎2019(H31)年1月 | |
県内のあるご老師の法話を聞く機会がありました。曰く「様々な存在か関わり合うことを仏教では《縁》というが、その縁はその人の心掛け次第で、〈善縁〉にもなり〈悪縁〉にもなる」といったお話でした。 人と人との出会い、とあるモノとの巡りあい。折角結んだご縁であれば、善きご縁にしたいと思うのは誰しも共通なことかと思います。 ご老師のお話はこう続きました。「縁は自分で作り上げて行くもの。つながりをどう受け止め、どう行っていくのかが大事です。」と…。 仏教でいう〈善〉とは、百点満点でなくとも、及ばずながら…お釈迦様の教えに寄り添う生き方であります。〈善〉なる行いの積み重ねは、きっとご自身を清らかにし、周りの方にも良い影響を与えることでしょう。教えに背を向けた〈悪〉の生き方をなさいませぬよう。 一人ひとりが〈善縁〉に包まれると同時に、周りへの発信源となれるようお祈り申し上げます。 |
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◎平成30年11月 | |
子供の頃覚えたことわざは、大人になっても価値観の基軸となるような気がします。皆様ご承知の【苦あれば楽あり、楽あれば苦あり】 お釈迦様から言えば、苦も楽も人間の思い計らいということになるかもしれませんが、迷い悩む人々に対してこんな喩え話が遺されています。「努め精進することは大切である。(キリモミ式で)火を起こそうとした時、熱くなる直前で休んでしまえば、火を得ることはできない。」 きめ細かい準備作業を経て、仕事で契約にこぎつけた/プレゼンを成功させた。厳しい受験勉強を経て、合格を勝ち取った。手間の掛かる調理の段取りを経て,家族団らんが笑顔に包まれた。など…苦しさと楽しさは表裏一体です。 日常生活の中で、必ず苦しい場面はやって来ます。その時に、背伸びし過ぎず出し惜しみもせず、着々と《努め精進》すること。平成最後の年末にあたり、自身の振り返りの視点の一つにしていただければと存じます。 |
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◎平成30年9月 | |
どんなに明るく振舞っている方でも、胸の奥底には悩みのひとつやふたつは抱えておられるはずです。具体的なものもあれば…なんか気持ちがスッキリとしない…一般に言われるストレスというのもその類いかもしれません。 先日、予定が立てこみ、気分転換に《○合打ち》と呼ばれるそばを食べに行きました。流行りのSNSに「ストレスフルのため、食い気に走る(笑)」と記したところ、友人から「住職もストレスたまるのね」とのコメントをいただきました。和尚といえども人間です。大いに悩みますし、ストレスを感じることもあります。 ですが不思議と、悩みの元をたどってみると、自分のワガママや思い計らいが原因であったりするもので、先ばかり見ず一つひとつ仕事をこなしていくと、光が差して来たりすることしばしばです。 お釈迦様の悟りとは程遠いかもしれませんが、悩みや苦しみを乗り越えた後に訪れる何とも言えない安堵感…わたくし、結構好きです。 |
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◎平成30年7月 | |
幼稚園を併設するお寺に伺った時のこと。「う〜れしいときも、か〜なしいときも、おててをあわせて拝みま〜す」という園児の歌声が聞こえてきました。 園を運営する本山修行時代の同期に尋ねると、小さい頃から〈ののさま〉が身近にあるから、卒園して成長しても、手を合わせるという習慣が当たり前になるんだよね、ということでした。 とかく、「困った時の神頼み」と言われるように、私達は自分に都合が悪い時にばかり、目に見えない尊きものにすがります、時に、不都合の原因を目に見えないものと結びつけることもあるかもしれません。果たしてそれだけで良いでしょうか? ご先祖さまを身近に感じられるお盆がやって来ます。見守られている喜び、生命を受け継いでいることへのありがたさを、ご家族みんなで語らい合いながら、お盆を過ごしましょう。 菩提寺にも、ご家庭のお仏壇にも本尊さまがおられます。嬉しい時も悲しい時も手を合わせられる習慣を! |
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◎平成30年3/5月 | |
単純に課題が山積みの時は、一つひとつそれをこなしていくしか手はありませんが、何をやってもうまくいかない…解決法が見当たらない…ピンチは時々やって来ます。自分のことを振り返ってみても、そんな時、ついつい視野も狭まって、考えが凝り固まってしまっているような気がします。 ピンチを脱する妙案が思い浮かばない時、私は【鳥のまなざし(視点)】をお勧めします。視野を広く保ち、大空から大地を見渡すがごとく、当面の課題を色々な角度から眺めてみると、不思議と思いもよらなかった気付きに巡り合えたり、新たなアイデアが生まれたりするものです。自分で解決できない時は、周りの方の力を借りましょう。3人寄れば文殊の知恵。きっと良い解決法が浮かぶはずです。 自ら得た気付きも、周りからいただくアドバイスも、自分自身が成長するキッカケでもあります。ピンチにあたふたせず、じっくり腰を据えて向き合っていけば、必ず光明が見えてきます。 |
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◎平成30年1月 | |
過去最高のメダル獲得数に沸いた平昌オリンピック。どの選手も、前回のソチ以降今回へ向け、ひとえに表彰台を念じながら、毎日の厳しい練習に耐えてきたことかと思います。少しずつ少しずつ鍛錬を重ね、成果が花開いた時の満面の笑顔には、多くの国民が惹きつけられました。 ご法事の折に読誦する『普門品偈』と題されたお経には≪観音様の力を念ずれば…≫という意味の「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」という文言が何度も出てきます。 観音様は33もの姿に身を変えながら、衆生に寄り添ってくださいます。一心に念ずることで、私達の苦しみや困難から救って下さる菩薩様です。一見、他力でお任せのように受け取れますが、願いを発し念じ行ずるのは、自分自身に他なりません。 一線級のオリンピック選手には及びませんが、身近な目標へ向け一歩一歩。皆様の念ずる想いに花が咲きますように! |
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